物語シリーズ 短々篇「ひたぎディッシュ」

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「忍野さんはああ言ってらしたけれど、でも、蟹って食べるのが難しいからこそ美味しいって側面はあるわよね?」

おもし蟹からその身に大量を返還された直後くらいの時分に、戦場ヶ原ひたぎは、そんなことを言っていたーーまあ、例によって例のごとく、雑談のたぐいである。

蟹雑炊ならぬ蟹雑談だ。

「美少年で考えてみるとわかりやすいわ。厚着をした美少年を、手ずから全裸の美少年が現れたら、阿良々木くん、どうする?」

「全裸の美少年が現れたらどうするって言われたら、もちろん通報するよ。善良なる市民の義務として」

ついでに言えば、厚着をした美少年を、手ずから剥いていただく女子高校が現れても、もちろん通報する。

しないわけがない。

「最初から身をほぐして蟹が皿の上に載せられて出てきて、いまいち気分が乗らない、みたいな話がよ?」

「そういうこと。貴様にしてはわかってるじゃない、誉めてつかわすわ」

「気を遣ってくれよ。貴様って」

「まあ、蟹なんてそんなに卓上にのぼる食材じゃないから、私の場合、川で釣ってきたザリガニでだとえたほうがわかりやすいかもしれないけれども」

「逞しい食生活を送ってるんじゃねえよ。三食喰わせてやるから僕ん家に来い」

「まさかこんな初期段階でそんな熱烈な誘いを受けていてとはーーだから、スマホゲームで言えば、ガチャは百分の一の確率だったりするからレアリティなのであって、どんな強キャラのカードでも、絶対確実に当たりますよって言われたら、それは何を違うでしょう?」

「お前のたとえが何か違うよ」

初期段階とか言うなら、『ひたぎクラブ』発表時には、まだアイフォンさえ発表されてなかっただろ。

しかし、すげーよな。

スマホがなかった時代があるとか。

でも、わかるーー宝くじの購入に際して『夢を買っているんだ』と述べるのは、まあ基本的には不毛に終わる浪費に対する弁明なんだけれど、しかし弁明であるがゆえに反論しにくい一面の真理もついていて、あれはたぶん、当籤確率は低いから面白いのだ。

ただ一億円が欲しいのではなく、一億分の一の確率で当たる一億円が欲しい。

難しいから、チャレンジのし甲斐がある。

バナナがすごく食べやすいデザインをしているからと言って、必ずしもそれは、皮が分厚く種だらけのスイカが優れていることを示すわけじゃないのだがーーソフトシェルクラブなら殻を剥かなくても食べられるように言われても、そういうことじゃないと言い返さざるを得ないわけだ。

無毒化された河豚が、どれくらい普及するかと言うのも、同じ問題を孕んでいる気もするーーテトロドトキンシンを内包してなければ、河豚のレアリティは☆4だったんじゃないのか?

ただし、だから『難しさ』を肯定できるってわけでもない……、インフレーションを起こしたパワーゲームに対して『どうしてだかわらないけれど、この大ピンチ、なんだかときどきする!』とモノローグで語る少年漫画の主人公的な資質は、よくよく考慮してみたら、相当破滅と隣り合わせなわけで……、食べるのが難しいからと言って鉄を食べ出したら、当然命にかかわる。

「美味しい食材だから、難しくても食べるんじゃなくて、食べるのが難しいから、美味しいと感じてしまうーー努力による補正。それでも、美味しいものほど手に入りづらいイメージは否めないよな。高級食材ーーともすると簡単に食べられる食材の、ありがたみを忘れてしまいかねないって事情の裏返しでもあるのか。まあ、忍野はあれで不器用そうだから、『蟹がとてつもなく嫌い』って言ってただけって節はあるよな。節足動物だけに」

「食べるのが下手な忍野さんこそ、案外、一番美味しく、蟹をいただけるのかもしれないわね。苦労して殻を剥くからこそ、人は報われる」

と、戦場ヶ原。

「苦労して体得した概念でなければ、価値がないってわけじゃないんだけれどーーそれでも、簡単に手放すべきかないわよね。ほら、阿良々木くんも、私のような難しい女の子と友達になれて、報われたって思ってるわけでしょう?」

「言っとくけど、ホッチキスで口腔内を綴じられたことを、僕はまだ完全に許してはないからな? しかるべき報いを受けろ」

お前は難しい女の子じゃない。

生きるのが下手なだけである。

だからこそ味わえる思いもあるのだろう。